| もう恋なのか にしきのあきら - 194 sec もう恋なのか
スター にしきの Auteur : martiandasu Tags: もう恋なのか にしきのあきら 懐メロ 歌謡曲  |
| 嵐の夜 にしきのあきら - 137 sec ++ Auteur : inducetrue Tags: 嵐の夜 にしきのあきら  |
| にしきのあきら 空に太陽がある限り - 156 sec 空に太陽がある限り Auteur : yodosannsp Tags: にしきのあきら 空に太陽がある限り  |
| にしきのあきら 熱い涙 - 155 sec 熱い涙 Auteur : yodosannsp Tags: にしきのあきら 熱い涙  |
| 空に太陽がある限り/ダイナマイトポップス(2003年) - 71 sec ダイナマイトポップスのポッキー宮沢が歌う、というか歌わせてもらえない、にしきのあきらの大ヒット曲「空に太陽がある限り」
※20003年7月23日都内ライブハウスにて収録 Auteur : dynamitepops001 Tags: ダイナマイトポップス Dynamitepops にしきのあきら 空に太陽がある限り  |
| 空に太陽がある限り - 160 sec にしきのあきら(1971) Auteur : wareware08 Tags: にしきのあきら  |
| 羞恥心withスター - 224 sec 新旧スターが夢の共演w
ちゃんと歌ってるとこなら、どこでも見れるじゃん。
スターと調和する羞恥心の三人のいいところが出ていたと思うけど、ファンだったらそういう内面を見たいんじゃないだろうかにゃ? Auteur : yunya2 Tags: 羞恥心 スター にしきのあきら  |
| 羞恥心「泣かないで」うたば - 146 sec 錦野 Auteur : soulspick Tags: つるの剛士 野久保直樹 上地雄輔 にしきのあきら 増健  |
| 第23回 紅白歌合戦 -1972/12/31- - 252 sec 司会:佐良直美、宮田輝 Auteur : 59D88D Tags: 天地真理 森進一 和田アキ子 フォーリーブス 朱里エイコ 堺正章 渚ゆう子 にしきのあきら 奥村チヨ 鶴岡雅義と東京ロマンチカ 由紀さおり 石橋正次 佐良直美 村田英雄 山本リンダ 尾崎紀世彦 いしだあゆみ 青い三角定規 南沙織 野口五郎  |
| 走れ!ケー100 - 70 sec 走れ!ケー100
1973-04-13~1974-03-29放送 Auteur : p1exe Tags:走れ ケー100 K-100 大野しげひさ にしきのあきら ピポピポ旅行  |
| BROTHER - HAGGY - 279 sec 故郷ににしきのあきらツアー
@大阪難波ロケッツ Auteur : takasonjp Tags: HAGGY  |
| 矢島洋子 五島からの手紙 - 244 sec あいつと俺 にしきのあきら 伊藤咲子 Auteur : nanohana2277 Tags: 矢島洋子 五島からの手紙  |
| おやすみ/井上陽水 - 181 sec おやすみ/井上陽水・フォトムービー(歌詞付き)
★ポリドール時代
1971年、ポリドール・レコードのディレクター多賀英典に誘われて移籍し、初のアルバム『断絶』のレコーディングを始める。このとき来生たかおがフォークギターで参加している。翌1972年、芸名を井上陽水(ようすい)と改めて、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たす。ここで陽水は歌唱に嗚咽を交えるなど、感傷を強調しており、『氷の世界』(後述)までの作品は同様の作風で貫かれることになる。また「人生が二度あれば」を編曲した星勝は、以後しばらく、陽水の作品の大部分を編曲することになる。5月に『断絶』がリリースされると、『断絶』に収録された「傘がない」は富澤一誠などの批評家に注目される。翌1973年3月のシングル「夢の中へ」が初のヒット作(オリコン17位、以下売り上げ順位はすべてオリコン)となり、同年7月には初のライブアルバム『もどり道』がリリースされるに至る。人気上昇の切り口となった「夢の中へ」は、自身が「みんなで歌えるように作った」とコメントしているとおり、単純で明るく、親しみやすい曲である。
同年12月のアルバム『氷の世界』が陽水をトップスターの座に押し上げることになる。『氷の世界』はリリース直後から1年半にわたってチャート1位を争い続けるなどした結果、1975年に、アルバムとしては日本初のミリオンセラーとなる。1974年のアルバム『二色の独楽』も10週連続1位を獲得する。これらのことによって、陽水は「フォークの帝王」と呼ばれるに至る[2]。1980年代、1990年代にも人気のピークがある(後述)が、陽水がポピュラー音楽の世界でもっとも重い位置を占めていたのはこの時期である。それはチャートの順位によっても明らかな上、以後のベストアルバムに収録される頻度、カバーされる頻度がこの時期の作品が特に高いことなどにも現れている。
『氷の世界』の影響で以前の作品が注目され、「人生が二度あれば」「愛は君」「傘がない」「つめたい部屋の世界地図」「東へ西へ」「夜のバス」「夏まつり」「神無月にかこまれて」「紙飛行機」「能古島の片想い」などが人気を博する。これらの作品は四畳半フォークに通じる叙情的な色合いを持っている。また「東へ西へ」などには超現実主義的な歌詞がすでに現れている。これについて陽水は「ボブ・ディランの影響を受けた」と語っている。さらに「たいくつ」「自己嫌悪」など内省的な作品が多いこともこの時期の大きな特徴である。ただし『二色の独楽』はロサンゼルスでレコーディングされ、演奏にジャック・ニッチェやジーン・ペイジを迎えたものであり、サウンドが『氷の世界』以前のフォーキーな作風から一転してロック色を帯びている。
以後の「癖毛にサングラス」というイメージは、1974年前後から始まったものと思われる。陽水はポリドール時代には一度もテレビに出演せず(理由は諸説あり)、外見が一般の目に触れる機会はレコードのジャケット写真がもっとも多くを占めていた。シングル「人生が二度あれば」から『氷の世界』までのジャケットでは、髪型がアフロヘアー、サングラスはなしで写っている。しかし『氷の世界』のインナースリーブにある写真の一枚ではサングラスをかけており、サングラスなしの写真は1975年のシングル「御免」を最後に見られなくなる(のちに著書『綺麗ごと』のために撮られたものなど少数の例外がある)。
1974年1月17日、熊本県出身の女性と結婚する。同年のシングル「闇夜の国から」はこの結婚を意識した作品とされている。
1975年、陽水・吉田拓郎・泉谷しげる・小室等が中心となって、フォーライフ・レコードを発起する。また、後に結婚する石川セリと出会う。
★フォーライフ時代~第二次陽水ブームまで
1976年2月、離婚する。2年余りの短い結婚生活だった。同年にフォーライフからリリースした『招待状のないショー』は9週連続1位を獲得する。1977年、石川セリのアルバム『気まぐれ』に「ダンスはうまく踊れない」ほか2曲を提供する。「ダンスはうまく踊れない」は、陽水の部屋に遊びに来たセリの目の前で30分ほどで作られたという。同年9月10日、大麻所持容疑で逮捕される。同時に芋づる式に内藤やす子、ジョー山中、内田裕也、にしきのあきら、桑名正博ら60人余りが逮捕される芸能界大スキャンダル事件に発展。陽水は9月22日に保釈され、10月11日には懲役8ヶ月、執行猶予2年の判決を受ける。この事件が大きなきっかけとなって急速に人気を失い、シングル「青い闇の警告」は100位、「ミスコンテスト」はチャートインしないというセールス不振に陥る。 だがこの「青い闇の警告」、「ミスコンテスト」は獄中で作られたモノであり、「青い闇の警告」にある『今の住所はここで、固い扉が守り』とは牢獄の事を意味し、「ミスコンテスト」にある『頼りなさそうな司会者が叫ぶ』とは公判での裁判官の事を意味しているらしい。なお、このころから陽水の特徴であったセンチメンタルな作風が封印されたことがうかがえる。
1978年8月30日、30歳の誕生日に石川セリと結婚する。およそ3ヵ月後の12月16日には長男が産まれている。
1979年のアルバム『スニーカーダンサー』では高中正義が5曲の編曲を努め、1980年のアルバム『EVERY NIGHT』では星勝が編曲から外れるなど、この時期にはサウンドが大きな転換を遂げている。さらに1981年のアルバム『あやしい夜をまって』から編曲に加わった川島裕二は、その後BANANAなどの名前で陽水の作品に多く携わり、星勝と並んで重要な位置を占めるようになる。上述のとおりセールスは伸びなかったが、この時期の作品には後に代表作とされる「なぜか上海」「海へ来なさい」「ジェラシー」「とまどうペリカン」「カナリア」「リバーサイドホテル」などが含まれており、創作面は充実していたとも言える。この時期の歌詞には、英語を多用する、語呂合わせなど音韻を重視する、その結果として意味がわかりにくいものになる、性的な含みがある、などの特徴がある。曲は明るく、ポリドール時代から比べるとかなり複雑なものが多く、歌唱は伸びがあって力強い。
1982年、陽水のバックバンドを務めていた安全地帯がデビューし、1983年には陽水の作詞による「ワインレッドの心」をヒットさせる。さらに1984年には安全地帯に歌詞を提供した「恋の予感」、中森明菜に歌詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」、そして自身の「いっそセレナーデ」がヒットする。12月10日付のチャートでは「飾りじゃ~」が2位、「恋の予感」が3位、「いっそ~」が4位と、陽水の手がけた作品が上位を占める。同月21日にはこれらのヒット曲をはじめとする提供曲を陽水が自ら歌ったアルバム『9.5カラット』がリリースされ、翌1985年にかけてヒットする。『9.5カラット』は1985年のアルバム年間売り上げ1位を獲得し、陽水にとっては『氷の世界』以来2作目のミリオンセラーとなる。このヒットにより第27回日本レコード大賞で作曲賞とアルバム賞を獲得する。1986年8月にはライブアルバム『クラムチャウダー』がリリースされ、9月には同じ題名のライブビデオも発売される。さらに8月20日から2日間、安全地帯とのジョイントで「STARDUST RENDEZ-VOUS」と題したコンサートを神宮球場で行う。このコンサートは6万人の聴衆を動員し、同年内にテレビ放映されたほか、ライブアルバム、ライブビデオにも収録される。これらのことは『氷の世界』前後の「陽水ブーム」にたとえて、「第二次陽水ブーム」と呼ばれた。「第二次陽水ブーム」を担った『9.5カラット』の収録曲は、歌詞にも曲にも陽水独特の癖が抑制され、よりポップに作られている。 Auteur : genkiniganbaroh Tags: 音楽 フォークソング 懐メロ Moviephoto 幻想旅団  |